【あなたには志がある?】偉人が残した『人生』に関する英語名言フレーズ10選

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もくじ

▶テーマ:偉人が残した『人生』に関する英語名言フレーズ10選

 ▶It’s never too late to be who you might have been.
 ▶We must always change, renew, rejuvenate ourselves: otherwise, we harden.
 ▶All people are doing the best they can, everywhere, always. No exceptions.
 ▶Luck is a matter of preparation meeting opportunity.
 ▶The heights reached and kept by great men were not attained by sudden flight, but they, while their companions slept, were toiling upward in the night.
 ▶Life is either a daring adventure or nothing.
 ▶Don’t sugarcoat it like that、Kid.Tell her straight.
 ▶Whatever people may say about me, I understand what I’m doing.
 ▶What people need are problems. The power that emerges when faced with a problem, where you would lose everything, is your true power.
 ▶You can accomplish anything if you’ll do it. Nothing will be accomplished unless you do it. If something was not accomplished, that’s because you didn’t do it.

 

 

 

偉人が残した『人生』に関する英語名言フレーズ

人生を歩んでいると辛く大変なこともあるかと思います。
結果を残せない、理不尽なことが起こるなど。

 

ですが、過去に偉大な成果を残してきた偉人たちは『志』がありました。
その志のおかげで、大きなことを成し遂げられたのではないでしょうか。

 

そこで今回は偉人が残した『人生』に関する英語名言フレーズを紹介します。

 

 

 

|It’s never too late to be who you might have been.

和訳:あなたがなれたかもしれない人になるのに遅すぎることはない。

人物名:ジョージ・エリオット George Eliot (1819-80)

 

彼女はいわゆる「醜いアヒルの子」で、母親の病により5歳で全寮制の学校に送られました。部屋の片隅で他の子どもたちが遊んでいるのをじっと見ている、そんな子でした。しかし、段々勉強で頭角を現すようになり、いつも読書に明け暮れ、読んだ本の内容はすべて暗記していたといいます。

ドイツ語から英語の翻訳をきっかけに、出版・著述の世界に足を踏み入れ、評論活動を始めます。そして、ロンドンのインテリの世界で尊敬を集めていきました。やがて、彼女自身も小説を執筆し始めます。「サイラス・マーナー」などの数々の名作を残しました。ヴィクトリア朝という極めて禁欲的な時代にあって、61歳のときに20歳年下の男性と再婚したという事実も、彼女の言葉に説得力を与えているのではないでしょうか。

現状に満足せず向上させようとする、人生に対しての彼女の前向きな態度が現れています。

 


|We must always change, renew, rejuvenate ourselves: otherwise, we harden.

和訳:私たちは常に自分を変え、再生し、若返らせなければならない。さもないと、凝り固まってしまう。

人物名:ゲーテ Goethe (1749-1832)

 

ヨーロッパでは国を代表するような作家がいます。イギリスといえばシェイクスピア、イタリアといえばダンテ、スペインといえばセルバンテス、そしてドイツといえばゲーテです。彼の代表作は『若きウェルテルの悩み』『ファウスト』ですが、なんと彼はあるときは詩人で、あるときは劇作家で、あるときは小説家で、またあるときは政治家でもありました。実に好奇心に満ち溢れた人で、道路の建設にも携わったこともありました。それが契機となり生物学や地理学も勉強しています。彼は83歳の人生をまっとうするまで、「常に自分を変え、若返らせて」いたのだと思います。

 

 

|All people are doing the best they can, everywhere, always. No exceptions.

和訳:誰もが至るところで、いつでも、自分の最善を尽くしている。例外はない。

人物名:MSI (1949-1996)

 

MSIアメリカ人ですが、アセンションという瞑想のテクニックをインドで学び、アメリカに持ち帰った人物です。『スーパーアセンション』などの著書がありますが、とても簡単なテクニックの瞑想を行うことで、心身ともに癒すことができると教えています。

MSIはすべての癒しは心のあり方を変えることから始まると教えます。人間の病の根本にあるのは「裁く心」であり、誰もが価値観を持って他人を見るため、裁くのは当然である。あの人が良いというのも裁きであり、悪いというのも裁きです。

そういう思いによって私たちはお互いの間に壁を作ってしまいます。

そのように他人を裁いている自分に気がついた瞬間、「あの人も最善を尽くしている」と思えば、裁く気持ちから解放されて、違う角度から見直すことができます。

また、過ぎ去ったことをくよくよと「あのときああすればよかった」と嘆くことは間違っていると、この言葉からわかります。自分は、「いつの時点でも最善を尽くしてきた」のであって、今ある結果はいつもベストな結果であると思えると、毎日の充実感が増えます。

 


|Luck is a matter of preparation meeting opportunity.

和訳:幸運とは準備が機会に出会うことである。

人物名:オプラ・ウィンフリー Oprah Winfrey (1954-)

 

オプラ・ウィンフリートークショーアメリカでもっとも人気があるトークショーの一つです。しかも、それが1985年から続いているのだから、並大抵のことではないです。子供時代に彼女は、離婚していた母親と暮らしていましたが、13歳のときに性的虐待を受け、家出をしました。その後、父親と住むことになりました。当時、彼女は父親からとても厳しくしつけられました。1週間に1冊本を読ませて、そのレポートを書かせて提出させました。5年間こうして何百冊もの本のレポートを書いたころ、ナッシュビルの放送局を皮切りに、彼女のキャリアが始まりました。彼女は1988年以来、自分が所有する会社で番組を制作しています。とても頻発に放送され、質の高い番組を作るための労力は大変なものであることは、想像に難くないです。彼女は、毎日の努力を惜しまないのはもちろんのこと、自分の内なる声に正直に従うなど、直観を研ぎ澄ませて、内面と向き合っている姿がこの言葉からうかがえます。

 



|The heights reached and kept by great men were not attained by sudden flight, but they, while their companions slept, were toiling upward in the night.

和訳:偉大な人々によって到達され維持された高みは、突然の飛翔によって達成されたものではない。彼らは仲間が眠っている間、夜もこつこつと努力をしていたのである。

人物名:ヘンリー・ワーズワースロングフェロー Henry Wadsworth Longfellow (1807-82)

 

ロングフェローは19世紀のアメリカでもっとも人気のある詩人でした。学生時代から詩を作っていましたが、翻訳にもすばらしい才能を発揮したため、現代語の教授の地位を提供されました。ですが、それを断り、ヨーロッパに行き、フランス語、ドイツ語、イタリア語を習得しました。帰国後は大学教授をしながら、詩の制作に明け暮れていました。その中でも傑作といわれているのは「
ハイアワサの歌」です。2番目の妻を事故で亡くし、悲しみに打ちひしがれ、スピリチュアルな救いを求めてダンテの『神曲』を翻訳しました。これは名訳といわれています。翻訳の行程は一歩一歩、着実に歩むしかないもので、まさにtoilingそのものです。そのような体験もしているロングフェローのこの言葉は実感がこもって聞こえてきます。

 


|Life is either a daring adventure or nothing.

和訳:人生は恐れを知らぬ冒険か、無のどちらかである。

人物名:ヘレン・ケラー Helen Keller (1880-1968)

 

ヘレン・ケラーは生後1年7か月で重い病により、視覚と聴覚と話す能力を失いました。それ以来、7歳になるまで、彼女は音もなく、光もなく、言葉すらない世界に生きました。アカデミー賞の作品賞を受賞した『奇跡の人』の中で感動的に描かれていますが、彼女の人生はアン・サリバン先生との出会いで、奇跡的な変化を得ました。彼女は自叙伝の『The Story of My Life』の中で、アン・サリバン女史と出会った1887年3月3日、「私が記憶している限りにおいて、私の生涯で最も重要な日である」と綴っています。アン・サリバンのサポートによりラドクリフ大学を優秀な成績で卒業した彼女は、88歳でこの世を去るまで、講演活動を行い、本を執筆し、世の中の人たちにハンディキャップのある人間でも立派に活動することができると示しました。また人種差別や男女差別に反対し勇敢に戦いました。多くの人が想像もできないような世界をもつ彼女が、自分の外に広がる世界の存在を知り、他の多くの困っている人々を助けることに人生をかけていたという事実こそ、この言葉が真実を物語っています。

 

 

|Don’t sugarcoat it like that、Kid.Tell her straight.

和訳:恰好つけてねえで本音を言え!

映画:「明日に向かって撃て」より

 

1969年、ポール・ニューマンロバート・レッドフォードが出演したアメリカ映画のワンシーンの名言です。何とも男らしく、人間らしいセリフです。職場の人間関係や友達とのつながりの中で、調和を重んじる日本人にとって心の中で思っていても中々本音を言えない、ということがよくあります。相手の顔色をうかがって答えを待つだけでなく、このようにズバッと言えたら、とても気持ちが良いです。

 

 

|Whatever people may say about me, I understand what I’m doing.

和訳:世の人はわれをなにともいわばいえ、わがなすことはわれのみぞ知る。

人物名:坂本龍馬 Ryoma Sakamoto (1836-67)

坂本龍馬明治維新に多大な功績を残した人物です。しかし、志半ばにして暗殺されたこともあってか、多くの日本人に敬愛されています。薩長連合を計り、大政奉還に尽力したわけですが、その彼の心を理解できない人たちも多かったと思います。この言葉の文脈はそのあたりにあると考えられます。日本文化の一つの顕著な特徴は集団主義です。ルーズ・ベネディクトも『菊と刀』の中で指摘していますが、日本人の行動は原則に基づくというより、周囲の人間との調和を基点にして行動します。ですが、おもしろいことに、日本の歴史を創ってきた人々の多くは坂本龍馬をはじめ、他人からどう思われようと自己の信念に生きて行動した人たちです。これは歴史の皮肉な現実でもあります。



|What people need are problems. The power that emerges when faced with a problem, where you would lose everything, is your true power.

和訳:人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。

人物名:本田宗一郎 Souichiro Honda (1906-91)

本田宗一郎の人生を見ると、何かに挑戦し続け、技術の世界を駆け抜けていったという印象を受けます。彼は静岡県に生まれました。小学校4年生のころ自動車が初めて村を走り、彼は自転車で自動車の後を追いかけ、ガソリンの匂いを嗅いだといいます。1921年に浜松に本田技術研究所を設立し、食塩製造機、ガラス機械などを作り出し、「日本のエジソン」と呼ばれました。。その後、オートバイの生産を開始し、世界一のオートバイメーカーとして名を馳せます。本田氏は「やるなら一番乗り」でないと気が済まない性格だったと言われています。四輪車を作ってからも、環境にやさしい燃焼ができる新しいエンジンを開発し、マスキー法(米国の大気汚染防止法)を世界に先駆けてクリアしました。

 

 

|You can accomplish anything if you’ll do it. Nothing will be accomplished unless you do it. If something was not accomplished, that’s because you didn’t do it.

和訳:成せばなる、成さねばならぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり。

人物名:上杉鷹山 Youzan Uesugi (1751-1822)

 

ジョン.ケネディ大統領が、アメリカで「尊敬する日本人は誰ですか」という日本人記者の質問に対し「上杉鷹山」と答えたという話があります。ケネディ大統領は内村鑑三著の『代表的日本人』を読んでいたそうです。越後米沢藩が15万石に減封され、財政が逼迫していた時に、高鍋藩から養子に迎えられ藩主となったのが彼でした。その当時、わずか17歳です。かなり過酷な状況の中、彼は改革に着手し、自ら一汁一菜を実行し、藩政を立て直し、名君とよばれるようになりました。彼が財政改革に乗り出して、60年近くの年月が経ってから、改革が完成したという事実も『一歩一歩の地道な努力と信念の強さが、困難なことでも必ず変える力がある』ということの証明になっています。

 
 
 

 

 

以上となります。

 

 

 

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